宗現寺は、元亀年間(1570-1573)真言律院として開創されましたが、慶長元年(1596)10月25日現在の新潟市中央区西堀通三番町法音寺七世不巌梵学大和尚(慶長18年1月15日寂)によって曹洞宗に改宗されました。歴代住職中、特に、加賀(富山県)高岡の瑞龍寺に昇住した13世霊源活湛大和尚、数次の祝融に遭遇しながら堂宇を再建された25世再中興薬欄文獅大和尚(現本堂を明治38年上棟、昭和14年4月17日寂)、新潟市西船見町満福寺開山、相模大雄山最乗寺、晋んで大本山總持寺独住第20世として曹洞宗管長に就任された26世重興形山瑾映大和尚(昭和57年12月6日寂)と世代は連綿と継承されています。
境内には松尾芭蕉翁の蓑塚があります。
俳聖芭蕉翁が奥羽行脚の途次、この地に寄って古き蓑を捨てて新しきものに着替え、後人が偲んで碑を建てたものでありますが、市内数次の火災に際し、大正6年(1917)、降雨庵、蓑塚は当寺に移設されました。
また芭蕉門下の逸材松蘿庵風月坊、梅花佛支孝、廣川百鴎、の碑があり、「待ちうけし此すず風や軒の月」の句碑が現存していますが、「海に降る雨や恋ひしき浮身宿」にちなんで建てられた降雨庵は戦時中に取り壊されました。
蓑塚については諸説あることから、後日を期したいと思います。