新潟の老舗繁華街古町通に隣接する当寺には、参道正面に古くから地域の信仰を集め、香華絶えることのない地蔵願王尊・引受地蔵尊=大地が全ての命を育み保つように、人々の苦悩を大きな慈悲の心で引き受け、安らぎへと誘う処から名付けられた石仏が安置されており、小さなお地蔵様にはよく、子供がよろこぶお菓子が供えられている。
また聖観世音菩薩=人々の声を聞き、その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰をあつめるその立像(北村西望翁作)も安置され、境内は柔らかな微笑みに満たされている。
参道脇には種々の庭石や灯籠、更に樹木が植栽され、四季折々の姿を伺うことができ、特に庭石の中には黒コタンとよばれる珍しい物も見える。
聖観世音菩薩立像前には、釈尊成道の地インドブッダガヤ大塔前の佛足石を拓本にとり倣ったものが据えられ、さらに米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院解剖学室に掲げられたカール・ロキタンスキー博士(1832年ウイーン総合病院の病理医長に就任し、ロキタンスキー法とよばれる解剖手法を考案した。)の言葉「ここは死が一生懸命生きるということを教えるところ」(原文ラテン語)がモンテフィオーレ病院、故ハーリーMジンマーマン教授の筆により刻まれた石碑がある。
右手には、多くの写経石(造営時、般若心経の写経石が地中に敷き詰められた。)の上に埋骨された無縁墓が、明るい日差しの中に静かに安置されている。
近年、檀信徒のご協力を願い、境内整備と建物の改修を行っております。
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宗現寺26世重興形山(乙川)瑾映大和尚の顕彰のため、全檀信徒の浄財により総欅作りにて昭和59年秋、当時大本山總持寺貫首であられた梅田信隆禅師によって落成式が執り行われた。 仏海門の名称は形山(乙川)瑾映大和尚の禅師号佛海真光禅師より命名された、扁額の揮毫は大本山永平寺故宮崎奕保禅師(当時副貫首)より頂戴した |
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米国アルバートアインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院解剖学室に掲げられたカール・ロキタンスキー博士(1832年ウイーン総合病院の病理医長に就任しロキタンスキー法とよばれる解剖手法を考案した)の言葉「ここは死が一生懸命生きるということを教えるところ」(原文ラテン語)がモンテフィオーレ病院、故ハーリーMジンマーマン教授の筆により刻まれた石碑 |
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造営時に施された、般若心経の写経石が地中に敷き詰められている、当山26世禅師の「三界萬霊塔」と示すがごとく、諸精霊の安息の聖域となっている。又總持寺独住7世秋野孝道禅師による「幻化空身即法身」の石碑は証道歌より書写されたもので、目に映るありとあらゆる事象はすべて仏の姿であるとの教えを説いている。 |
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俳聖芭蕉翁が奥羽行脚の途次、この地に寄って古き蓑を捨てて新しきものに着替え、後人が偲んで碑を建てたものであるが、市内数次の火災に際し、大正6年(1917)、降雨庵(後に取壊し)、蓑塚を当寺に移築した。また芭蕉門下の逸材松蘿庵風月坊、梅花佛支孝、廣川百鴎、の碑がある。(松尾芭蕉の蓑塚については諸説あり後日を期したい) |
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明治38年上棟と棟札に書き記された漆喰作り本堂である、大間、内陣が二尺ほど上がっており禅宗寺院には珍しい造りである、欅の丸柱をはじめ、当寺檀家で漆塗りの名職人小林久次郎氏が精魂を傾けた総欅製白檀塗りの仏具で整えられている。田村豪湖作による、大達磨・龍の絵天井も見逃せない。 |
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御真殿周りは檜材を用いた仕様となっており、正面に開山不巌梵学大和尚はじめ26世までの御位牌ならびに宗現寺に縁の深い諸大和尚の御位牌も安置されている。 .左室に禅宗の開祖達磨大師のご尊像、右室に当山守護神「龍道・大龍王」「戒道・大龍女」山形善寶寺の龍神様のご分身が安置されている。 |
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親松仏巌翁作 1859〜1877親松仏巌翁は、小さいものは2尺5寸から16尺にも及ぶ数々の仏像を彫刻した人物として知られています。 |
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